差し出された椅子に座って
何かが起こるのを待つ。何かが起こっているのを味わう。
目の前で起こっている出来事を祝福する。
美しくもないし、自由でもない、普通の人たちが、
人を待ってたり、電話したり、笑っていたり、見つめ合ってたり、
目の前で起こっている出来事は、すごく静かな可能性だ。
ちょっとずつ、目の前の出来事が僕から離れて行く。時間が過ぎていく。
目の前で起こっている出来事は、いつだって それが最後の瞬間だ。
「凄絶ですね」
40年も前に死んだ人が書いた落書きを、毎朝読んでいる。
「凄絶ですね」
目の前で起こっている出来事は いつでも一生懸命だ。
あらゆる出来事は頑張っている。きっと頑張ることしかできないだろう。
でも、いつだって もっと頑張れただろう。
生まれて一週間で死んでいく赤ちゃんも、九十億年 浮かんでは消え入る惑星も、
あの人の落書きや あの日の妄想も、きっと頑張ることしかできないだろう。
でも、いつだって もっと頑張れただろう。
出産は娼婦に似ていて、娼婦は落書きに似てる。
目の前で起こっている出来事は、いつだって もっと馬鹿馬鹿しくなれるだろう。
そこが好きだ。
もっと馬鹿馬鹿しい空を見てほしい。もっと馬鹿馬鹿しい路上に触ってほしい。
もっと馬鹿馬鹿しい体液を流して、もっと馬鹿馬鹿しい生活を味わってほしい。
でも、いつだって もっと馬鹿馬鹿しくなれるだろう。 そこが好きだ。