人は少しずつ変わる
朝の食卓があって、昼の風がざわめいて、
真夜中の古傷は誰のものでもなくて、
わたしは古傷に見とれない。
わたしは手がくたくたになるまで自宅のドアをノックしている。
苦しみを知ったり、ほのぼのとしたり、
やましさのかけらも感じさせないブラジルの上空のピークでは、
危険に満ちた心臓発作が明るくなって、
心臓発作はすこやかに眩しいだけの存在感になっちゃったから、
「なんだよー」って感じになってきて、何だかイライラしてくる。
すこやかに眩しいってだけの心臓発作は何を求めているの?
見たい夢もわからないハキダメの時代でも、わたしはハキダメを歌えるから、
ほだされてる暇があったら、かきむしるような読書を繰り返せばいい。
わたし一人の「考え」を妊娠するまで、
一冊の本をすり切れるまで繰り返して読み続ければいい。
念のために言っておきますが、徹底した読書はスラム街や南の島より広い。
わたし一人の「考え」を出産すること、それを本と呼ぶのだった。
ただいま、おかえりなさい、人間。
たかだか本。たかだか人間。
本と人間は全く同じ意味をもっているので、無駄に血を流す必要はなかった。
血は、本と人間の体の内側に、夕焼けみたいに駆け巡るものだ。